ポリフレクト 宮田洋輔さん:原発事故の対応で得た「法」に対する視点

キャリア

テクノロジーの著しい進展にともない、社会のありかたは大きく変容しつつあります。新たな技術が、現行法の想定する範疇を超えてしまうことも——。

だからこそ、社会的な意義のある技術やサービスを提供する企業側は、積極的な政策提言を通してイノベーションを起こしていくことが求められます。

株式会社ポリフレクト 代表取締役の宮田洋輔さんは、経済産業省でさまざまな政策立案に従事してきた経験を活かし、「日本ではできない」ではなく、「日本でもできるように法律を変える」という視点での政策提言や、ロビイングの支援を行なっています。

民間と官僚の橋渡しをすることで、日本におけるパブリックアフェアーズの土壌づくりに尽力する宮田さんにお話をうかがいました。

 

宮田洋輔さんプロフィール
2007年、経済産業省入省。地方創生、働き方改革、観光需要政策、原子力安全規制などの担当を経て、IT政策を担当。データ利活用の普及促進や個人情報保護法改正などの政策立案を行なった。その後ヤフー株式会社にて、政策企画本部のマネージャとして、IT、インターネット等に関する政策提言活動を担当。その他、経団連をはじめとした業界団体活動に参画するとともに、自らもIT業界を広く巻き込み日本IT団体連盟やIT社会推進政治連盟の立ち上げを行い、業界全体の政策提言活動をリード。2018年、政策提言活動を担う株式会社ポリフレクトを創設し、代表取締役に就任。

 

原発事故の対応で得た視点「法は社会のためにどうあるべきか」

――宮田さんは経済産業省時代、働き方改革や社会保障制度、地方創生など、私たちも日々耳にするさまざまな政策立案に取り組んできたのですね。なかでも印象に残っている仕事はありますか。

宮田洋輔さん(以下、宮田):圧倒的に強いインパクトがあったのは、原子力安全・保安院のときの経験ですね。

私はそれまで、経済産業政策局に所属していました。社会課題を見出し、それをいかに産業政策に結びつけるかを考えて、ゼロから政策をつくる部署です。

経産省の中には一つの政策を粛々と実行することに取り組む部署もありますが、私は多様な政策の立案に関わることができました。

そんな中、2011年に東日本大震災、そして福島での原発事故が発生しました。事故の対応をするために、急遽、原子力安全・保安院(当時)に配属されたんです。

――そこではどんな業務を担当されたのですか。

宮田:私が配属されたのは、全体をとりまとめる企画調整課です。そこで法令班長を任されました。原子力発電所を運用するにはそれを規制する法律があるのですが、その法解釈と運用の責任者になったわけです。

原発事故という非常事態のもとでは、普通の法解釈など当てはまりません。「事故収束のための対応が現行法では違反になる可能性があるけれど、事故をこれ以上大きくしないためにはやらざるをえない」と、法律での想定をはるかに超える事態の連続でした。

私の役割はその混沌のなかで、事故対応の一つひとつについて、どう法解釈するのか、法に抵触する可能性があれば、その事故対応の正当性や妥当性などを検証すること。そして、個々の条文上は抵触する可能性があっても、「法目的から考えると違法ではない」と法的整理を行い、適切に事故対応ができるようにするというものでした。

――それは、想像を絶する体験ですね……。その危機的状況に取り組んだ経験は、官僚としての宮田さんの価値観にどのような影響を与えましたか。

宮田:「法」そのものに対する視点が変わりました。平常時に同じ法令班長をやっていたとしたら、「いかに法律を守らせるか」という思考になっていたんじゃないかと思います。法を作って運用する立場なのですから、それはそれで当然なんです。

しかし原発事故への対応を通して、「法律をどう遵守するか」で終わるのではなく、「法律が社会に対してどうあるべきなのか」と考えるようになったんです。

この経験があったことで、再び産業政策に携わるようになったときの仕事への向き合い方が変わったと思います。

 

産業の発展のためには、企業も「政策に意見する姿勢」を持つべき

――2012年から1年半の間、商務情報政策局に配属に。これはIT産業の政策に携わる部署ですよね。「法律が社会に対してどうあるべきなのか」を考えるようになったといいますが、動きの早いIT産業ではまさにそのスタンスが求められたのではないでしょうか。

宮田:そうですね。テクノロジーの進展によって社会が急速に変容していくなか、現行法とのギャップが激しいのがIT業界です。

素晴らしい技術やサービスアイデアがあるのに、現行法が想定していないため違法になってしまい、社会に実装できない……。そんなケースを多々見てきて、「もっと柔軟に法律が変わっていかなければいけない」と考えました。

またIT産業の政策にかかわるようになって、もう一つ大きな思考の転換がありました。それは政策をつくって運用していくうえでの、国と企業のありかたについてです。

グローバルで見るとIT産業は、天才的なイノベーターの出現をきっかけに、それまでなかった技術やサービスが世界中を席巻していくことで発展してきました。

――GAFA(Google、Amazon、Facebook、Apple)を代表とするイノベーター企業が業界を牽引していますね。

宮田:この動き、別に国が後押ししてできたものではないんですよね。だからIT産業に関して必要なのは、良い技術を社会に実装するための規制緩和くらいかなと。

しかし規制緩和をすべき案件が何かというのは、私たち官僚が“役所”という箱の中で考えていても限界があり、実際にITの世界でビジネスをしている民間企業から話を聞かないとわかりません。

そこで、さまざまな民間企業の方にヒアリングをしていきました。そこで感じたのは、全般的な傾向として、日本企業は政策提言に関する文化が未成熟だということです。

外資系企業は、官僚に対して「この規制は取り除くべきだ」あるいは「国はとにかく何もしなくていい、それが一番の経済政策だ」などと、かなりはっきり意見や要求を述べてきます。

一方、日本企業の担当者にヒアリングをもちかけても、9割がたは“意見”が出てこないんです。「どういうことに困っているのか」、「こういう政策を考えているんだけど、意見をください」とたずねても、「とにかくわかりやすい条文にしてほしい。我々はそれに従います」と……。

――ロビイングを含めたパブリックアフェアーズの文化が、日本ではまだ一般的ではないのですね。

宮田:そうですね。外資系企業では、日本事務所のスタッフが数名程度の規模であっても、パブリックアフェアーズの担当者を置いていることが多いです。

発展のスピードが速く未知の領域であるIT産業にあって、現状維持にとどまらず政策提言をしていくスキルが日本企業の中で育っていないのは、日本のためにならないと痛切に感じました。そして、日本企業に伝える人がいないのであれば、問題意識をもっている自分が、民間に出て伝えていく役割を果たすべきだと思うようになったんです。

それには、私と同じ経産省出身で、Amazonのロビー担当責任者を務める先輩に出会ったことも大きく関係しています。

積極的に政策提言をする姿勢に触れ、「こういう道の進み方もあるんだ」とかなり明確なロールモデルになりました。

私はその役割を日本企業側の中で果たそうと、民間企業に移ることを決めたんです。そして2014年、ヤフー株式会社の政策企画本部に入ることになりました。

 

日本でパブリックアフェアーズが根づくまで、橋渡し役を

――ヤフーでは、政策提言の文化を根づかせるためにどんな取り組みをしましたか。

宮田:ヤフーは私が経産省にいた頃に、日本企業の中では比較的積極的に、また興味深い政策課題を持ってきてくれていました。

といってもパブリックアフェアーズに関して、外資系企業のようにスキルが蓄積されているわけではありません。そこで、まずはメンバーに対して「官僚と接する心得」のレクチャーから始めました。

そもそも官僚や国会議員がどんな時間軸やモチベーションで動いているのか、そこにどのようにアクセスしていったらいいのか。ロビー活動をするために必要な基礎知識などを伝えました。

ただ、実際に企業の中に入って、パブリックアフェアーズの専門組織をつくるには難しい点もあるなと感じました。

これはヤフーに限ったことではないのですが、現在の日本企業で純粋にパブリックアフェアーズの業務のみを担当するとなると、従来の人事考課制度にマッチしにくいなどの課題が出てくるんです。待っていれば仕事が来るわけではなく、また短期的に成果が出る仕事ではありませんからね。

企業が官僚や国会議員と継続的に議論していくことの重要性についても、まだ認識が薄いのが現状です。

その機運が熟するにはあと10年、20年かかるかもしれません。それまでは、私のような立場の人間が国と企業の間に立って橋渡しをしていく必要があるのではないかと思うようになりました。

そこで2018年、独立して株式会社ポリフレクトを創業するに至ったのです。

――一つの企業に属さず外に出たほうが、多くの“橋渡し”ができると考えたのでしょうか。

宮田:その通りです。当面は、企業内でパブリックアフェアーズに関心があってもすぐに全力投球するのが難しい状況は続くと思います。そこで私のような人間が間に入って、少しずつ慣らし運転していくイメージですね。

最終的には、どんな企業、どんな立場の人も、政府や国会に対して対等に議論ができるような社会になってほしいです。うちの会社はいずれ、「役割を終えて解散」というのが理想ですね。

民間、行政問わず、多様な議論の中からイノベーションが生まれる

――あえておうかがいしますが、企業が政府と対等に議論できることは、なぜ重要なのでしょうか。

宮田:「国や法律に従っていればいい」という考えでは、産業にイノベーションが起きません。

企業が提言をしないということは、ルール作りを官僚や国会議員に任せるということです。そうなると、官僚や国会議員が全知全能の神のような存在にならない限り、イノベーションを起こすルールを作り続けることはできません。

社会を大きく変えるような素晴らしい技術があったとしても、官僚がそれらをすべて理解することは不可能です。

だからこそ、その素晴らしい技術を理解し評価できる人が、官僚の知識とのギャップを埋める必要がある。そうしてはじめて、その技術が活かされる政策が成り立ちます。

行政だけ、企業だけではなく、多種多様な専門知識をもつ人の存在が、パブリックアフェアーズを推進する力になると思います。

――ご自身と同じような若手の官僚経験者にも、どんどん民間で役割を果たしていくことを勧めますか?

宮田:私自身は民間に出て起業して良かったと思っています。もともと官僚になろうと決めたのは、社会的な課題に取り組むこと、しかも自分の子どもや孫の世代に至るまで、長きにわたって世の中をよくしていけるような仕事をしたいと思ったからです。今でも、その思いは変わりません。

かつての私は、政策立案に関わり続けたければ、官僚でい続けなければならないと思っていました。でも本当は、どんな立場であっても関与できることなんですよね。

ただ、官と民、どちらが良い悪いという話ではありません。官には官、民には民の役割があります。

民間の役割は、専門領域の知識を官僚や国会議員にインプットして、現実の社会に即した法律づくりに関与すること。行政と比較すれば、行動の自由度も高いでしょう。

一方で、官僚は実際に法を整備することができます。また、一部の業界や企業の利益だけでなく、社会を俯瞰で見て、世の中のために最善の策を見極めるのも官の使命です。

――官と民、どちらが欠けても良い政策はできないということですね。

宮田:そうです。だから私は、官僚時代の優秀な同期には「役所に残れ」とずっと言いつづけてるんですよ(笑)。

いろいろな立場から一緒にやることに意味があるので、全員が全員、民間に出てしまってはダメなんです。それぞれの役割分担の中で、自分はどの立場にいると一番パフォーマンスが発揮できるのかを考えてみるといいと思います。

私はいろいろな方面に興味を感じるタイプの人間なので、多様な企業と関わっていけることを楽しみながら、これからも新たな社会課題と向き合っていきたいと思っています。

 

 

構成:伊藤宏子/撮影:内田麻美/編集:大島悠(ほとりび)

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