サイバーダイン社の「制度のアービトラージ」に見る国際ルールメイキング戦略

事例

国際的なパブリックアフェアーズを考える時に重要な概念の一つに、「制度のアービトラージ」というものがあります。「アービトラージ」は元々、金融用語で価格差を利用した「さや取り(裁定取引)」のこと。

グローバルで商品展開をする際には、為替と同様、法律や規制にもギャップがあります。このギャップをうまく生かしながら、まずは規制が緩やかなところで実績を重ね、だんだんと規制の強い国、あるいは規制が強い製品・サービスでの社会実装を目指すのが「制度のアービトラージ」に基づく国際戦略です。

日本が世界に誇るロボット分野で、医療用・介護用ロボット(装着型サイボーグ)のパイオニアが、サイバーダイン社の「HAL®︎(Hybrid Assistive Limb®)」(以下、HAL)。

「HAL」は医療機器と介護機器の双方に該当する可能性があり、さらに複数国での事業展開となると、ともすると規制ルールをめぐる複雑な状況下に置かれ、市場導入自体が遅れることも想定されました。そこで、同社は「制度のアービトラージ」を活用し、段階的な市場投入に成功。その過程で、自らルールメイカーとして国際標準(ISO13482)の策定にも貢献しました。

日本とドイツに焦点をあて、その経緯を分析した論文「イノベーションを社会実装するための国際ルール戦略;メディカル・ヘルスケアロボット「HAL」の事例研究から」が昨年注目を集めました。

この度、執筆者の一人である池田 陽子さん(RIETIコンサルティングフェロー)に、論文の内容に基づいて話をうかがいました。

 

池田 陽子さん プロフィール
経済産業研究所(RIETI)コンサルティングフェロー。長野県出身。東京大学法学部卒業、アメリカ・ニューヨーク大学ロースクール修了(法学修士)、オランダ・マーストリヒト大学大学院修了(公共政策学修士、イノベーション政策専攻)。2007年経済産業省入省以来、イノベーション政策と国際的なルール形成戦略に従事。2015年よりRIETIコンサルティングフェローとしても活動。


▲今回お話をうかがった池田陽子さん

サイバーダイン社の戦略的パブリックアフェアーズ事例

――HALのケースで考察された、企業による「制度のアービトラージ」とは具体的にどのようなものだったのでしょうか。

池田陽子さん(以下、池田):サイバーダイン社は、当初から、超高齢社会において医療と非医療の境界線がグレーゾーン化していくことを前提に事業を進めてきました。

その代表製品であるHALを市場に投入するにあたっては、メディカル・ヘルスケアロボットの安全性確保の観点から、各国において何らかの規制ルールが適用されることが想定されました。

▲身体機能を改善・補助・拡張・再生することができる、世界初の装着型サイボーグHAL®(Hybrid Assistive Limb®)。写真は医療用下肢タイプ (JPモデル)(写真:サイバーダイン社 公式サイトより)
HALは新領域のデバイスで前例がない状況の中で、薬などと同様に医療効果を提供するなら医療機器に、介護や作業を支援するものは介護機器(非医療機器)に分類され、国ごとに該当する規制ルールや付随する保険のあり方も変わってくることが分かりました。

そこで、医療機器(日本)、医療機器(ドイツ)、介護機器(日本)の3つのケースについて適用される規制ルール、保険適用の有無・程度といった社会実装を左右する要因を比較し、迅速に市場で信頼を勝ち得ていく最適な戦略を立案・実行していったのが「制度のアービトラージ」です。

制度のアービトラージの肝

――HALの「制度のアービトラージ」において肝となったのはどのような点でしょうか。

池田:日本国内では、介護機器については特定の規制法が存在しておらず、代わりに、安全性を担保する任意規格(ISO/IEC、JIS等)があれば、民間の登録認証機関からその認証を得るのが一般的となっていたことです。これを日本とドイツの医療機器の場合と比較すると、相対的に規制ルールの強度が緩和されていると言えます。

そこで、まずは介護機器として国内市場に参入して風穴を開けて事業や製品を磨き上げ、国内外の医療機器市場に進出する戦略を見出したのです。その上で、医療機器における日本とドイツの比較では、実質的な治験のタイミングが異なるため、ドイツでの審査の方が速く進むことが推定されました。

こうして、市場導入のタイミングが早い順、すなわち、介護機器(日本)、医療機器(ドイツ)、医療機器(日本)の順で、実績を積みながら社会実装を加速する戦略をとり、実際そのとおり実現されました(日本:介護機器/2013年2月認証、ドイツ:医療機器/2013年8月認証、日本:医療機器/2015年11月承認)。

その際、介護機器分野においては、該当する任意規格が存在しなかったため、自らルールメイカーとなって、国際標準(ISO13482)の策定を主導したのです。

▲HALを用いた機能改善のための臨床試験のようす。(写真:サイバーダイン社 公式サイトより

自らルールメイカーとなって、国際標準を策定

――HALのケースで、標準を作ることのメリットはどこにあったのでしょうか。また、国際標準というツールはどのようなポテンシャルを持っていると言えるでしょうか。

池田:標準化のもたらすメリットは、製品やサービスの互換性の確保、生産効率の向上、品質の確保、安全性の確保、貿易の促進、競争環境の整備などさまざまです。HALのケースでは、まず、介護機器分野で該当する任意規格が存在しない中で、ISO13482の策定をリードするとともに、それに基づく認証を速やかに取得し、製品の安全性をプロアクティブに証明していったということが挙げられます。

また、2点目として、ユーザーに対して製品の安全性を証明するだけではなく、これから参入しようとするロボットメーカーに対して公平な競争条件を設定する、つまり競争環境を整備して、結果として新産業の市場創出に貢献している点も意義深いと思います。

国際標準というツールは、より柔軟なソフトロー的なアプローチと言え、また、その策定プロセスは、国籍や業種の枠を超えた多様なステークホルダー間の相互作用を促す「スペース」のような役割を果たしている面があるように思います。

もちろん万能というわけではありませんが、変化のスピードが大きい第四次産業革命時代において、さまざまな分野での活用可能性が期待されるのではないでしょうか。

▲HALを活用した、脳神経・筋系の機能の改善を促す画期的なプログラムが多数開発されています。(写真:サイバーダイン社/ロボケアセンター 公式サイトより)

どのように「ルール形成」を実現したのか

――今後国際ルール形成に関わりたいベンチャー企業のためにも、サイバーダイン社が具体的にどのように国際標準における「ルール形成」を実現されたのか教えてください。日本の1ベンチャー企業が、いきなりスイスの国際機関に話を持ち込むのでしょうか。

池田:HALのケースでは、ルール形成が独立事象として存在しているわけではなく、国際戦略総合特区や国家戦略特区を活用した実証フェーズ、標準のシステム設計フェーズ、そしてISOでの国際的なルール形成フェーズを経て、一連の官民協働プロジェクトとして成功を収めたというふうに評価されると思います。

その際、経営トップが国際標準化の重要性を深く理解されていたこと、また、企業自らISOのエキスパートメンバーとして国際標準の策定に一貫してコミットされていたことは特筆すべきかと思います。

ISOの分野では、各国が加盟する国際標準化機構(International Organization for Standardization)は確かにスイスのジュネーブに所在します。

日本からは、経済産業省に設置される審議会である「日本産業標準調査会」が唯一のメンバー、まさに「顔」としてさまざまな規格の開発活動に関与しているので、国内外の主要プレイヤーの全体像を把握しつつ、まずは日本の窓口を通じて必要な働きかけを行っていくということになるかと思います。

ルール形成をめぐっては、昨今、ロビー活動を支援する事業者や法律家、企業の公共政策部門が存在感を示すなど、プレイヤーの広がりが見られます。

ベンチャー企業・中小企業となると、自前でルール形成を牽引するような体制を整備したり、専門人材を確保・育成するのは容易なことではないというお声もうかがいますので、そういった面での支援は一層重要になるように思います。

 


制作:PublicAffairsJP編集部

タイトルとURLをコピーしました