社会課題を解消するための新しいテクノロジーやプロダクトが続々と生み出されている一方、それらを社会に実装するハードルは、未だ決して低いものではありません。公共的な意思決定を行うプロセスにおいて、社会受容性をどのように醸成していくかが、現在の日本社会では大きな課題の一つとなっています。
特に一般市民参画の機会をどのように作り、場の運営を通じて社会受容につなげていくか——これから先の未来に向けて、新たな取り組みが求められています。
この課題に対し、2023年10月22日、慶應義塾大学 グローバルリサーチインスティチュート(KGRI)が主導する「2040独立自尊プロジェクト」のイベント内で、一般市民が参加する市民会議が試験的に開催されました。参加者はKGRIのウェブサイトを通じ、完全公募で募っています。
今回はこの市民会議がどのような意図のもとに設計・実施されたのか、また会議を経て関係者がどのような手応えを得たのか、レポートします。
市民と専門家が集い、“空飛ぶクルマ”について考える
今回、対象となったプロダクトは、通称“空飛ぶクルマ”と呼ばれる「eVTOL(電動垂直離着陸機)」です。新たな空のモビリティとして注目されており、2025年開催予定の「日本国際博覧会(大阪・関西万博)」に向けたロードマップがひかれ、官民協働で開発が進められています。
今回の市民会議では、開発者、行政担当者、科学論理の研究者、そして一般市民が一同に会し、約半日のプログラムを通じて空飛ぶクルマについて議論を行いました。当日の流れは以下の通りです。
アイスブレイク | 参加者自己紹介 | |
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インプット1 | “空飛ぶクルマ”とは何か? | 中村 翼氏 有志団体Dream On代表 |
インプット2 | 社会側の制度整備について | 久保 宏一郎氏 国土交通省交通局 |
グループワーク1 | 議論テーマ ・空飛ぶクルマで自分の生活はどう変わる? ・技術のもつ可能性や夢を膨らませる |
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体験 | 空飛ぶクルマ VR体験 | |
休憩 | ||
グループワーク2 | 議論テーマ ・VR体験して気になったこと ・現実的に困りそうなことはないか? |
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インプット3 | ELSI(Ethical, Legal and Social Issues)的な観点(主に環境倫理学)から見た課題について | 井上 宏朗氏 武蔵野大学講師 |
グループワーク3 | 議論テーマ ・理想的な空飛ぶクルマの活用方法 ・現実的な落とし所は? |
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発表 | 各グループでの議論を共有 | |
まとめ | 市民会議の意義について | 斉藤 亮太氏 ひらく研究所 代表 |
上記のように、参加した市民の方が各領域の専門家から話を聞いて情報をインプットする時間、VRを利用して空飛ぶクルマを生活の中で使う様子を擬似体験する時間、そして3-4人ほどのグループにわかれて段階的に議論(アウトプット)する時間が設けられました。
本市民会議の構成を担当したのは、プロの科学コミュニケーターとして多方面で活躍している本田隆行さん。本田さんと、元日本テレビアナウンサーの松尾英里子さんが会議のファシリテーターを務め、場の空気づくりや円滑な議論をうながすためのサポートに尽力されていました。
「このような新しいプロダクトについての議論をはじめるとなると、どうしても課題や問題点の指摘など、ネガティブな状態からスタートしてしまいがちだと思います。でもそれはそれで、偏った議論になってしまうんですよね。
基本的な情報を得ながら、市民のみなさん自身がまずは理想、可能性を膨らませること、『自分も使いたい』『これなら使える人がいるかもしれない』と感じてもらうことを、今回は出発点にしたいと考えました」(本田さん)
インプットと擬似体験、グループワークを段階的に実施
専門的な知見のない市民参加者が集まって議論するためには、まず全員の認識をフラットにする必要があります。
特に今回のテーマである“空飛ぶクルマ”は、その言葉のイメージから馴染みのある「自動車」を思い浮かべてしまう人が多いため、その点がプロダクトとしての課題になっているともいえます。
そのため本会議では、最初に開発者である中村 翼さん(有志団体Dream On 代表)が「eVTOL(電動垂直離着陸機)」についての基本的な解説を、行政側で制度設計に関わっている久保 宏一郎さん(国土交通省交通局)が制度の現状と今後の展開について説明を実施。
基本的な情報を全員が得てから、「理想・可能性を膨らませる」グループワークに移りました。
1回目のグループワークを終えた後、VRを活用して、空飛ぶクルマを日常の中で利用し、東京上空を移動する様子を全員が擬似体験しました。
(動画提供:有志団体Dream On)
開発者として参加した中村さん曰く、このVRコンテンツを制作する前は、空飛ぶクルマに対する理解度に人それぞればらつきが生じてしまい、思うように利用シーンをイメージしてもらえなかったといいます。
「空飛ぶクルマがどのように日常使いできるのか、どのような活用の可能性があるのか……当事者目線で議論を交わすため、そもそもの認識を合わせてスタートラインに立ってもらうこと自体のハードルが非常に高かったんです。
VRでの擬似体験を取り入れるようになってから、そうした認識のズレがずいぶんと解消し、理解度が向上したと思います」(中村さん)
ポジティブな可能性を語り合ってから、課題点の洗い出しへ
プロダクトそのものや制度設計の現在地について理解してから、ポジティブな可能性について話し合い、利用シーンの擬似体験をした段階で、グループワークの議題は「気になること(課題・問題点を含む)」の洗い出しへ。
この段階で、理解度に差が生じて議論にズレが生じたり、どの粒度で話ができるかわからず会話が停滞したり……といった様子はほとんど見られなかったように思います。
本田さんと松尾さんが常にグループのテーブルを回って話題を広げ、内容に応じて参加している専門家に質問を投げかけるなど、場に対する積極的なファシリテーションの影響も大きかったのではないでしょうか。
そしてもう一段階、専門家によるインプットの時間が設けられました。井上 宏朗さん(武蔵野大学講師)が、環境倫理学(※)の観点から、これまでの社会の中で自動車などのモビリティがどのように実装されてきたのか、その歴史をふまえて、空飛ぶクルマが今後どの交通手段と代替されていくのか、という問いを提示。
参加者はここでまた新たな視点を得て、最後のグループワークに臨みました。
認識が少しずつそろい、議論も活発かつ現実的に
本会議となる最後のグループワーク、議論テーマは「理想的な空飛ぶクルマの活用方法/現実的な落とし所は?」。1回目の議論で広げた可能性、2回目の議論で洗い出した課題や問題点をふまえて、空飛ぶクルマの現実的な活用方法について、落とし所を探る議論をしていきます。
2回目の議論では「なんとなく怖い」など漠然とした不安が語られていたグループもありましたが、専門家からのインプットを通じ、「ではどのような利用方法であれば社会で問題なく使えそうか?」「どうすればリスクが低くなるか?」といった現実的な視点を交えた議論になっていたのが印象的でした。
最終的には「地上の交通網がない場所に新たな街をつくれるのでは」といった斬新なアイデアも飛び出し、専門家たちが驚く一幕もありました。
新しい形の「市民会議」から得た手応えと今後
約半日かけて実施された本会議について、主催者の一人である河嶋 春菜さん(東北福祉大学准教授/KGRI客員所員)は「非常に手応えがあった」と話してくれました。
「参加されたみなさんがとても活発に議論してくれて、場の空気が非常によかったと思います。異なる領域の専門家がこうして同じ会議に参加し、市民目線で議論することで、専門家自身が新たな気づきを得ることもできました。開発者・アカデミアと市民や行政が課題を共有し、解決策を考えながら技術の社会実装を行うために有用な市民会議をつくっていくために、たくさんのヒントを得られました」(河嶋さん)
またKGRI市民会議運営メンバーの斉藤 亮太さん(ひらく研究所 代表)も、次のような手応えを得たそうです。
「世界的に社会における課題が深刻かつ複雑化する中、専門家でさえも頭を抱えてしまう課題があると言われています。そのため、様々な人びとが、政策の立案やあらたなテクノロジーの実装に際して、知恵を絞りながら意見を交わし、合意していくことの重要さが認識されてきています。
世界では、そのような対話や熟議の場が、市民議会や市民パネル、コンセンサス会議、計画細胞、市民カウンシルなど多様な形で行われています。このような取り組みを通じて、専門家や政治家・官僚だけでなく、一般の市民も協働しながら社会をつくっていくことができると多くの恩恵が社会全体にあるのではないかと思います」(斉藤さん)
そして最後に、主催者である鳥谷 真佐子さん(KGRI特任教授)から、本プロジェクトにおける市民会議のビジョンについてコメントをいただきました。
「2040独立自尊プロジェクトの市民会議は、社会受容の醸成のための新技術に対する市民理解促進だけではなく、開発者である研究者・企業・行政との対話により、実装の早い段階から、どのような形での実装を目指すのかを議論し、開発に反映させていくことを目指していきます」(鳥谷さん)
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制作:PublicAffairsJP編集部